日本とアメリカで感じる着物

最近すっかり着物ネタがないと思っていらっしゃる方も多いかと思います。ただいま、私なりに深く模索中です(笑)。

 

最近思うのです。私にとって日本にいた時の着物と、アメリカにいる現在の着物はちょっと違います。

 

日本にいた時は、私にとって着物はあくまでも「着るもの」でした。あまりに身近で日常だったので、特別なものという意識もなくなっていました。着物で掃除もしたし、料理もしたし、車も運転したし…何でもできたので、洋服と同じ感覚。大好きなお手本は「サザエさん」のフネさんでした。私にとって大切だったことは、日常に着るためにどうラクチンに着れるか…ということでした。もちろんTPOを大切にしていたつもりですが、気軽に日常に着れることが着物を着る人を増やしていく…ことにつながるとも思っていました。

 

でも今、私がアメリカで着物を着るということは、全然、意味合いが違います。さすがに20年以上前、アメリカで感じた「自分の国のことを何も知らない」情けなさは感じなくなりましたが。少しだけ成長したみたいです(笑)。

 

 

アメリカで、私が日本にいた頃のような感覚で「着るもの」として着ることができなくなった理由は、私がここで着物を着るということは、ある意味、日本を「represent」するものになるからです。それがどんな着方をしても、何を着ていても、それが「日本の着物」として理解されてしまう…ということです。気持ちが違うんですね。そこって大切だと思うんです。

 

ま~アメリカ人には何だって同じに見えるだろうし…そんなの気にしなくたっていいんじゃないの?と言われそうですが、だからこそ…とも思うのです。少なくとも、私はそういう意識を持ってしまいます。それが日本人としてのアイデンティティでもあり、外国に住むということなのかなと思います。

 

アメリカの子供向けのアニメ番組では、よく日本なのか、中国なのか、韓国なのか、着物なのか、ガウンなのか、芸者なのか、忍者なのか…「なんじゃコレ?」というキャラクターがたくさん出てきます。いっしょくたな感じ。

なんか正しく知ってもらいたい…と思うんです。着物はきれいなだけじゃなくて奥行きのあるものだし、文化って気候や歴史や環境や生活から生まれているものだし、そういう感覚を知ってもらいたいなぁと…漠然と思います。

 

「桜が咲いたら桜の着物は着ない」というのは「着物のルールです!」ということではなくて、日本人の感性だったはずです。もしアメリカ人に季節の柄を洋服の柄に取り入れるという文化があったとしたら、たぶん花見には桜の柄を着るでしょう。そのほうが楽しくて盛り上がるものね。でも、そうではなくて桜の美しさ、自然の美しさに遠慮する…という、その感性を伝えたいなぁと。

 

なので、あらためてアメリカにいる私が伝えたいこと…私にとってのアメリカでの着物を明確にしたいと思っている今日この頃です。何ができるのかわかりませんが、それを明確にして、それを伝えるための方法、誰とどうやってやっていくか…も課題です。ただ、忘れたくないのは、私らしくあることですかね。私だからできることって何だろうと…探していきたいと思います。

 

ここ数日、このことについてヒントになるような出会いや出来事がありました。そのことは、まだアイデアも整理できてないので、あらためて書きたいと思います。

 

 

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コメント: 1
  • #1

    sarasa (月曜日, 07 3月 2011 17:00)

    「日本を代表している」ような感覚って私もポーランドに住んだ時に常にありました。だからこそ気をつけなくてはいけないというような。私の場合、住んだ所に日本人が少なかったこともあり、それがなんとなく窮屈で、日本の代表ではなく一人の人間として見て欲しいとよく言ったのを覚えています。自分のなかでもアイデンティティは宙に浮いてしまったような感じで…(今も浮いてしまっている)。
    でも、着物に関して言えば、私も倫子さんに同感です。着物はただの「着る物」ではなく、そこには文化があるのだということを知ってもらいたいし、「着物もどき」と本当の着物は違うのだということをわかって欲しい。だから、ぜひぜひ伝えてください!!

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